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長澤知之「風を待つカーテン」

これまであまりこういうとこで書いちゃいけないなと思っていた曲のレビュー。
私が長澤くんの歌の中で最も純粋だと思う曲。

★長澤知之「風を待つカーテン」

P.S.S.O.S.

P.S.S.O.S.

  • アーティスト: 長澤知之
  • 発売日: 2007/10/03
 

長澤くんの音楽では珍しいピアノメインの歌。
所々ピアノがチャイムの音に聞こえるし、井上陽水のピアノ曲を彷彿とさせる。
私の記憶ではあまりライブではやってない曲だと思う。一度でいいからギター弾き語りで聴いてみたい。

この歌の中では「僕」は長澤くんで「君」は私だ。
「君」は長澤くんの歌を聴く、ひとりひとりのことだ。

長澤くんには、この歌詞の僕のように閉ざされた時期があるらしい。
学校に行けず引きこもってしまっていた少年期。
この歌を聴くたび、自分の部屋から出られなかった当時の彼のことを思う。
皮肉なことに、こういうことがあったから彼は詩や歌を書くようになったんだし、今こうして私たちは彼の歌を聴くことができているので、とても複雑な気持ちにさせられる。

太陽の光を浴びる窓と、そよぐ風に揺れるカーテン。
ただそこにあるだけで、他の何かに見え方を変えてもらったり、動かされたりの受け身的存在。彼自身も自分を動かす何かを待ち望んでいたに違いない。

この曲とはもう何年もの付き合いだというのに、最近まで歌詞を見たことがなかった。聞き取りにくい部分もなく聴けていたしね。だけどふと歌詞カードを開いたとき、初めて目から捉えた歌詞に驚きと新たな感動があった。うわぁと涙が溢れてしまうくらいの純粋さを見た。

部屋の窓とカーテンに自分を重ねて見つめながらも、その視点は未来へ向かう。
今よりもずっと先の将来(いま)へ。
「いま」を、「今」ではなく「将来」と表記していたところに言葉のマジックがある。
今の自分を悲しみ嘆くだけのものではない、希望のある歌だ。

当時の彼は「今」という未来に向けてこの曲を書いた。
私たちはその頃は未来だった「今」から、かつての彼を思う。
この歌を聴くと、「本当に叶って良かったね」としみじみ思うんだ。

信じたことが現実になる素晴らしさを、この歌は教えてくれる。
そして音楽は本当に時を超えるのだということも。
彼が自分の世界を表現する手段として音楽を選んでくれて本当に良かった。

部屋は汚いけど ドアノブは綺麗だよ
だから詩を書くんだよ 「哀しくない」と 「哀しくない」と 

学校は行かないよ 電話が鳴るけれど
ギターを弾く指で 耳を押さえるんだ

だけど「将来」君がいると思うからいいんだ
僕は太陽を待つ窓

ちなみに、この綺麗な歌のあとに続く歌が「零」ってのが最高に面白い。
長澤くんらしいなぁと思ってしまってね。