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長澤知之「三日月の誓い」

長澤知之 『JUNKLIFE』 曲別レビュー

★14. 三日月の誓い

JUNKLIFE

JUNKLIFE

  • アーティスト: 長澤知之
  • 発売日: 2011/04/06

(この曲についてはSILENTSIRENレビューの時に2度書きましたが、今の感覚とは違う点が出てきたため、今回JUNKLIFEレビューを機に書き直すことにしました。これに合わせて、過去の本曲レビューは削除。2年前のものをベースに、今改めて思うことを交えて書いてみます。)

「三日月の誓い」は4th mini album 『SILENTSIREN』のリード曲。先にPVが公開されてたから、当時リリース前から騒いでたのを思い出す。
私はSILENTSIRENの「茜ヶ空」から「三日月の誓い」への流れが大好きでね。「茜ヶ空」の後半から意識がふわぁっと夕空に浮かんで、「三日月の誓い」では自分の立ち位置が宇宙にあるように感じるの。僕対空から対宇宙の感覚。自分の存在がよりちっぽけに感じられる、みたいな。

この曲は当初、私にとっては瞳に影を落とす歌だった。聴くのがつらいと感じるくらい。【僕が消える もう理など失くしたから】ってところで、いつも泣きたくなって。はじめは恋人を失った人の歌になんでこんなに苦しくなるのか、わからなくてね。でも、どっかの雑誌のインタビューで、この曲のテーマは別にあって、それを表現するために失恋という分かりやすい題材を使ったという話を長澤くんがしていて。「そんなに深いのー!」って仰天したんだけど、なんでこんなに泣けてくるのかわかった気がした。

この歌の象徴である「月」は、個人的に10代の頃から惹かれているものだったから、長澤くんの作った月の歌は特別嬉しく思えた。月の話題ついでにPVのことを少し書いておく。

PVの後半に2種類の月が出てくるでしょ?(満月じゃない月)女の人(君)がいるのは、2人で見た三日月。長澤くん(僕)がいるのは、次第に消えゆく月。三日月はこれから満ちていくものだから、希望、新しい何かのはじまりという意味がある。一方、欠けていく月は否定的な感情を強める。失われるものへの憧れ、繊細という意味もあるらしい。JUNKLIFEの歌詞カードに描かれているイラストも消えゆく月だ。君(といたあの日)の象徴が三日月で、今の僕を象徴するのが三日月とは逆の月ってことなんだろうね。形違いなのは意図されてのことなんだと思うと、PVもなかなか深い。長澤くんが消えてく方の月の上にいるシーンを初めて観たとき、鳥肌たった。

ここからは曲の感想。サウンドについては、細かい動きが重なっていて音に厚みがある。特にギターが複雑で、たぶんギター1、ギター2・・・みたいな感じになってるんじゃないかな。パートによって左側から聞こえたり、前に出てくるように聞こえたりと様々。左右で違う動きのギターが鳴ってたりする。例えばキーンって音。これは2回鳴るんだけど、【僕が消える】の直前は右側から、【じゃあ嘘でもいい】の「じゃあ」では左側から聞こえてくる。後半に繰り返される左からの高音エレキは、サイレンのように聞こえるときもあれば、暗闇の中で美しい光を放つ星のように思えるときもある。そして【もう理など失くしたから】で奏でられるギターは、歌詞に乗るから余計に泣かされる。

長澤くんのボーカルでは、【口づけをして陽が昇るのを待った】の「待った」とかでの、声の「揺らぎ」が気になっている。意図してなのかたまたまなのか、聴いてると魂揺さぶられる感じになるんだ。あと2度出てくる【君と見た三日月】というフレーズは、ボーカルで違いを演出してると思う。1度目は上の方から声が降ってくる感じ。最後の方は近くで光っている感じ。

で、ここまで書いといてアレだけど、私はこの曲では歌詞の構成が一番気になってるんです。歌詞を眺めているとね、いろいろ見えて面白いんだ。
歌詞に句読点やカギカッコを入れたり反復して、その言葉を強調させていたり、【人を守る人】【日々を掃く日々】というように同じ単語ではさみこんだり。【それでも 今でも】や【三日月の下 契りを交わした】といった押韻、「あの日」と「その日」の対比とかね。気になることだらけ。ついでにJUNKLIFEの歌詞カードはこの曲だけ中央揃えで歌詞が印刷されてるんだよね。SILENTSIRENでは気付かなかったけれど、字面のバランスも良いんだなぁとわかって、新しい発見だった。

JUNKLIFEの中の曲として「三日月の誓い」を聴くと、この歌詞すごく綺麗だなぁと改めて思う。【こんなにも思えるのに会えない人 いつまでも懐かしいのに褪せない声】は、このメロディにこの言葉が乗っかるとこんなにも綺麗なのか!と思わされる。【忘れられないと思うから 忘れられないと思ったさ】の言い回しには脱帽。最後の【光が結んだ約束の二人】って表現もとても素敵だね。

それから【思い出にさえなれない過去 さよならも言えない別れ】の部分。一般的には連想されるはずの2単語(思い出と過去、さよならと別れ)が、ここではそうなれないって言ってて。特別過ぎると、そんな普通のこともできなくなるってことで、想いの強さがより引き立って見える。こういうところから、「僕」が「あの日」から止まってしまっているのが伝わってくる。それが、【じゃあ嘘でもいい】からそうじゃなくなるんだよね。絶望から生まれた、もうどうにでもなれという自暴自棄さがパワーになって、この曲を突き動かしてる。前半では「かつてのようには「もう」」と言っていたのが、後半では「かつてのように「また」」となる。時は流れても、過去とは捉えられず、今でも共にある出来事。その想いの先を失くして、それでもなお強すぎるままの想いが「嘘でもいい」からまた「あの日」を望む。最後に力なくささやく「本当に愛してたよ」は、僕の本心であって真実。

たまに、何を信じて生きていけばいいんだろう?って思ってしまうことない?私の判断基準というかものさしのひとつに、「信じられるかどうか」っていうのがあってね。別に宗教的な何かじゃない、自分自身がそれを信じられるかっていう単純なこと。なんで急にこんなこと言い出したかっていうと、さっきの長澤くんが本来表現したかったことの話からなんだけどさ。例えば自分以外の誰か(何か)に、自分の存在意義を見出して生きてたとして。それって、自分にとってものすごく大きな存在になるわけじゃない?救いや支えとなって自分を生かすものになるんだろうし、もしかしたら自分以上の存在になってしまうのかもしれない。でもさ。それがもし、なくなってしまったら…それまで一生懸命捧げてきたその想いが、逆に自分を壊すものになる。自分という人間が内側から崩れていく。そういうのを考えるととても怖い。

約束でも人でも、自分以外の何かを信じるってとても大変で難しいことかもしれないね。自分のことだって信じられないときだってあるし。そうすると、じゃあ一体何を信じれば?って思ってしまって、モヤモヤしてきちゃう。だけど、私はやっぱり何かを信じていたいな。何も信じるものを持たず、冷めた目で生きることはしたくない。でも何かに依存しすぎたり、自分を誰かに置き換えてしまうのも怖い。

生きてく中で一番恐ろしいことは、大事な人や大事なものを失うことじゃない。自分が自分でなくなることだと思う。「自分の存在意義をどこに見出すのか。」この歌が私の真ん中で響くとき、そんなことを考えてる。