ココロノイロ

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長澤知之「センチメンタルフリーク」

『SEVEN』 レビュー。「JUNKLIFEレビューはどうした?」って、言わないで(苦笑)もたもたしている間にSEVENがリリースされて、新曲モードに入っちゃった♪

 ★ 長澤知之「センチメンタルフリーク」

SEVEN(初回限定盤)(DVD付)

SEVEN(初回限定盤)(DVD付)

  • アーティスト: 長澤知之
  • 発売日: 2012/06/06

自分の鼓動や血の流れを強く感じる曲。
初めて聴いたとき、うわーっと一気に拡がった。新しい曲を聴けるというドキドキに勝って、曲の世界が自分の中に拡がっていく感覚は何にも代えられない瞬間。とても感動的で泣けてくる、幸せなひとときだ。1曲目のあとで、これがかかるとなんだか落ち着く。「あぁ、やっぱりこれは長澤知之のmini albumなんだ」と思える。SEVENの曲は、たくさん聴き込んで抜け出せなくなるJUNKLIFEの作品群とは違って、わりとハッキリしてるという印象。見えるときは見えるという感じ。虹みたい。
これから書くことも、SEVENがリリースされた6月の時点で書き留めていたこと。今回はあまり思い悩まずに、浮かんだことをそのまま書いてみます。
まず、音から気付いたこと。曲の速さが秒針のスピードに近い。秒針よりも少しだけ遅くて、「秒針につつかれてる」感じが出てる。曲中のカーンって音からは、「生活の匂い」を感じる。私には、キッチンの蛇口から水滴が落ちてコップに溜まってく音みたいに聴こえた。あと、心臓の音が3分ピッタリで止まることに気付いたときは、やるなぁ!と思った。←何故か上から目線(笑)こんなふうに、歌詞に沿って音も構成されてるのを見つけられたときは嬉しい。
そして、歌詞。「出会いって奇跡ですよね はいはいはい」がいいね。普段の生活で「はいはいはい」って言いたくなって困るけど(笑)「迷子の大人」、来ましたね。迷ってるんですね、悶々と。生きてることを実感しますね。私は、「そんなものよりよっぽど泣ける 隠しきれない生活の匂い」ってフレーズがとても好きだなぁ。
長澤くんの歌詞の、言葉の魔法。 耳から入って来たときに浮かぶ言葉と、実際の歌詞に書かれている言葉が違っててビックリする。 例えば、赤の他人の誰かのせいか、だと思ってたら、「赤の他人の誰かの聖歌」、 悲哀のバイバイ、だと思ってたら「悲哀の売買」が正解、みたいな(笑)

ただ会いたい人はどこにもいない
あんたでもない あんたでもない
僕のための奇跡じゃない
構わない 構わない

「会いたい人」の解釈が広がる曲だよね。私には、会いたい人は存在しない、というように聴こえてる。 存在しないという解釈は、その人はもうこの世にはいないという意味にも、まだ出会えてなくてその存在を知らないという風にもとれるのかなって思う。私の場合は後者。具体的な人物がいるわけではなくて、逆に今はそういう人がいない=ひとりなわけで、「僕のための奇跡じゃない」と、ちょっと冷めたように歌ってるけれど、この曲全体からは「探している」感じがするんだよね。それに、今の自分に奇跡は起こらないけど、それ自体を信じてないわけではないようにも思えるから。ちょっと私の妄想入るけど、出会った瞬間「この人!」ってわかるような、自分にとっての光る出会いを、心の奥底でずっと求め続けているような、そんな気がしてくるんだ。ここに来てくださる長澤ファンの皆様はどうですか?あなたが捉えた会いたい人の解釈、教えて下さい。
余談だけど、最初の「構わない 構わない」の部分が、私には「構わない 叶わない」って聴こえてて、すごく切なく感じてたんだ。聞き間違いとわかったときは恥ずかしかったけど(苦笑)なんかね、この曲の「僕」は長澤くん本人という捉え方で聴いてしまうとこあってさ。いろんな長澤くんが目に浮かぶ。ベッドの上で天井を見つめているところや、何かを見て伏し目がちに目をそらしたりだとか、愛想笑いしていたり。鏡に映る自分を見ていたりも・・・(これはバベルにも通じるね)あと、この曲聴いてると歩きたくなる。長澤くんが歩いてるところを連想できるっていうのももちろんあるんだけど、私が普段散歩してるときにふと思うことと、この曲から感じ取れることが似てたりするから。
意識は内側に向く。目に映るものじゃないものを見つめているような感覚。