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BUMP OF CHICKEN 「ロストマン」

私にとっては初となるBUMP曲のレビュー。

★BUMP OF CHICKEN 「ロストマン」

ロストマン/sailing day

ロストマン/sailing day

  • アーティスト: BUMP OF CHICKEN
  • 発売日: 2003/03/12

たまに無性に聴きたくなる曲で、出会ってからもう10年近く経つ。
この曲の何にこんなに何度も惹かれてきたのだろう?やっぱり「迷子って何だ?」ってところから始まってる。他にも気になるワードが散りばめられていたり、断片的な部分しかわからなかったりとハテナだらけだったからだと思う。
私はもともと耳から入ってくる言葉を大切にしていて、最初は歌詞を見ない。耳でキャッチして、なんだなんだ?って想像するのがとても楽しいから。歌詞を見るのはその曲がある程度自分の中で馴染んできて、違う側面(歌詞の流れや全体像)からの気付きに期待してという次の段階に入ってから。この曲はそういうワードがたくさんあった。
まぁそれは余談として、当初からどこか重みのある曲だなぁと感じていた。それがどんなものなのか知りたかった。何年か後になって、藤くんはこの歌詞を書くのに相当の時間を費やしたということを知る。「あぁ、だからかぁ」と思ったよ。だけど見えるものはずっと感覚的なものでしかなくて。そんな感じの付き合いで来たこの曲も、ここへ来てようやく形にできるようになってとても嬉しい。

ここからはちょっと [ 迷子 ] について書いてみる。藤くんが言う [ 迷子 ] は一般的な意味のとは違う。私はタイトル [ ロストマン ] と、歌詞に出てくる [ 迷子 ] は同じ意味なのかなぁ?って思いながら聴いてきた。
ロストマンは「lost」と「man」を組み合わせたもので、lostは普通に考えたら失うという意味、manは性別に関係なく人(人間)の意味かなぁと。一方の [ 迷子 ] は英語でlost child。この曲を聴いていると、歌詞に出てくる [ 迷子 ] はlost childではなくlost manの意味で使われているように思える。子供じゃない。だからやっぱり迷子=ロストマンってことでいいのかなぁって思ってた。
そんな時ちょうど入ってきた有益情報。かつて藤くんがラジオかなんかで、「ロストマン=迷子の意味であること」、そして「ロストマンっていうのは間違った人じゃなくて正しさを祈ってる人だ」と言っていたのだとか。このコメントでうわ~っと拡がって。私自身が持つこの曲を聴きたくなるときの感覚が、そのまま曲の解釈につながっていたというか。だから定期的に聴きたくなるのねと今更納得したりして(笑)
この曲は「君を失った」とか「サヨナラを叫ぶ」とか歌ってるから、愛する人を失ったという印象が強く残ってしまっていて、lostの「失う」の意味に固執しすぎてたんだよね。だから全体を通して見たときによくわからなくなってた。lostには「道に迷う」という意味もあること。そこをちゃんと見れてなかった。例えばこの曲に登場する君との別れも、その別れで得た喪失面にスポットを当てたというよりも、そこはあくまで通過点で、その先を歌っているというか。別れはこのもうひとつのlostのわかりやすい題材として取り入れてるにすぎなくて。別れを選んだことが果たして良かったのか。間違いじゃなかったのかとか、揺れてる(迷ってる)意味の方が強いのかなぁって。でも、「失う」と「迷う」両方の意味をちゃんと取り入れて構成してるところがすごいよなぁ~って思う。
そもそも「君」は恋人や友達といった他者ではないのかもしれない。恋人としてずっと聴いてると、最後の【再会を 祈りながら】がどうもしっくり来なくてわからなくなる。友達や家族だったら再会もありなのかもしれないけど。
今思うのは、「君」は自分の大切な人でもいいけど、最終的には自分自身のことになっているんじゃないかなって。たぶんこの曲に出てくる「君」はひとりに固定されないと思うんだよね。ある場面では恋人や友人といった「自分が関わってきた人」、そしてまたある場面では「あの日の自分」。今の自分から見た過去の自分を「君」って呼んでるような気もしてきてて、そうして見ると結構他の所のつじつまが合ってくるんだよね。

少し話を変えて。この藤くんの言葉が私の頭の中から消えない。
『ロストをゲットする感覚』
失うこと(迷うこと)で得られるものって何だろうなぁ?と思ったとき、真っ先に思い浮かんだことは「自分が生きていることを実感する」だった。私が生きてる実感を得るのは、どうも幸せに思うこととは逆のときでさ。辛いんだけど、そこで「命」というものを感じ取れる、確認できるような気がしていて。普段から生きるということは・・・なんて難しいこと考えてはいないけど、苦悩の中で、こういうことの積み重ねが生きるってことなのかなぁってぼんやり思ったりするし。幸せだとこれは夢なんじゃないかとか、実は嘘でしたってなるんじゃないかと疑ってしまう。捻くれてるね(苦笑)でも、私が普段、悲しかったり辛かったり切なかったりという曲を好むのも、きっとこういうことからなんだろうなぁと最近思えるようになってきた。

そろそろまとめます。人生という道は1本だけど、進む先ははじめからそうじゃない。振り返れば一本道になっているだけで、前を見ればたくさんの分かれ道が広がってる。その枝に遭遇する度に、自分で進む方向を選んでいるわけで。分かれてないところで自分から横道作っちゃったりとかもあるしね(笑)そういう場面って大なり小なりいくつもあって、その選択はほんとに人それぞれ。でも人は判断するときも、した後も迷い続けるわけですよ。私なんて、あの時はアレで良かったのかな・・・とか振り返って思うことばかり。生き続けることは迷うことを繰り返すことでもある、みたいな感じかな。
でもさ、その選択の何が正しくて何が間違いなのかってのは、もうその人が正しいと思えば正しいんだし、間違いだったと思ってもいずれ正しいと思えるときが来るのかもしれない。その、自分で下した判断が「正しい」と強く思えたときの人の強さってすごいと思う。そういう部分を表現したかったのかなぁ、藤くんは。
なにはともあれ、「ロストマン」は悩み多き私の20代~今を支えてくれている、とても大事な1曲です。このままでいいのかとか、これでよかったのかとか、あのとき他の選択肢があったんじゃないかとか思うとき、あとは密かに決意を立てるときにも聴きたくなる。これからもきっとまた聴きたいと強く思うときが来るんだと思う。何度も、何度も。
そういう日々を切り取って、集めたものを終わりに見たとき、消えない正しさを得られるかなぁ?昔の自分との再会を楽しめるような人生だったらいいな。選ばなかった自分と会ってみるのもまた楽しいかもしれないね。
 (初出:2012/05/08、推敲:2016/10)